東京高等裁判所 昭和44年(う)1561号 判決
被告人 米島昇
〔抄 録〕
一、論旨第一点事実誤認の主張について
所論は、被告人は本件具体的情況のもとにおいては運転者として必要な注意義務を尽しており、業務上の過失がないに拘らず、原判決が過重な注意義務を前提として、これに違反した被告人に過失があると認定したことは事実の誤認であると主張する。記録を精査するに、被告人は原審公判廷において「後退を開始する際バツクミラーを見たが子供の姿は見えなかつたし、ドアーを開けて後方を見た時にも見えなかつた」と述べ、これを受けて当審公判廷において「見えなかつたというのは被害者がいないことを確認したことである」旨を述ているのである。所論も認めるとおり当時の事故現場周辺は既に薄暗くなり照明の十分でない情況下にあり、交通安全のための注意義務を尽したといい得るためには単にバツクミラーを見たのみでは足らず、最小限後方を注視して後退の進路に危険のないことを確認しなければならないことは言うまでもない。被告車が被害者の立つていた山石マンシヨン玄関前を通過して材料置場前に至り、そこで一たん停車した後、材料置場入口に向つて後退し、同入口の本件事故現場に至るまで約二、三分の間に、被害者は右マンシヨン玄関前より三輪車に乗つて右事故現場に進出したものと推認し得るのであるが、司法警察員作成の実況見分調書によれば被告人が右材料置場前において後退を開始したときのその運転席よりの右後方の視界範囲は、被害者の立つていたマンシヨン玄関附近より材料置場入口附近(事故現場)に及び、その間にその視界を妨げるなにものも存在しなかつたことを認めることができる。従つて被告人が運転席のドアーを開いて後方を見て被害幼児のいないことを確認したことが事実とすれば、被害者は被告人の視界内の右マンシヨン玄関よりその視界外に出た後前記二、三分の間に事故現場に忽然と現れたことを肯認しなければならないが、そのようなことは絶対に不可能事と断じ得ないにしても通常あり得ないことである。被告人に幼児の姿が見えなかつたということは、その不存在を確認したのではなく、漫然と目を向けたに過ぎないために視覚に捉えることができなかつたか、薄暗いこともあつて存否の定かでないものを不存在と即断したかのいずれかである。被告人の司法警察員に対する供述調書中に「右手でドアーを半開きにして顔を右に向けて後退し、右側後輪が材料置場入口内左側に置かれた砂利のところに行くように左手でハンドルを切りながら後退した」、「このとき世都ちやんのことは全く考えていなかつた、夕方のことでもあるし距離もあつたので、まさか入口の方まで来るとは思つていなかつた」と述べていることが実相を伝えるものと認められる。被告人がドアーを開けて見たのは、極めて足場の悪い材料置場の入口を後退しながら入るために後車輪が適当な場所を通過するようにその車輪の移動状態を見るためであつて、車両の進路を注視し被害者の存否を確認するためであつたとは認め難い。ただ漫然と見たことは注意したことにはならないし、存否の定かでないものを不存在と即断することは確認したことにはならず、注意義務を尽したといい得べきものではない。事は人命にかかわる問題である、乗車したままで確認できない限り原判示のとおり下車してでも安全を確認すべき措置を要求することは運転者に過重な義務を負わせるものではない。所論は、事故当時が寒い時期であり、薄暗い時刻であり、雨模様の天候であつたことから、被告人が最初に被害者の姿を山石マンシヨン入口の階段附近に認めた際同人が家に帰るものと思つたことまた後退を始めるに当り後方を見て同人が見えなかつた際家に帰つたものと思つたことは不自然でなく無理からぬことであるというが、被告人の認めた被害者の姿が道路を背にして階段を上る姿勢を示していたのであれば兎も角、階段を降りた個所に三輪車の後輪を一段上段にかけたまま道路に面して立つていたのであつて、その姿勢自体から家に帰るところと考え得るものではないし、寒いとか、薄暗いとか、雨が降り相だとかいうことは戸外で遊ぶ幼児にとつてその行動を制限する原因になるとは思われない。成人なれば避けて通る水溜りに故意に踏み入つて水を跳ねとばして戯れ度いのが幼児の心理である。本件被害者が年令四才の幼児で思慮も分別もなく、成人の論理をもつて律し得ない行動に出る虞れのあることに考慮を及ぼせば、被告人の運転後退する車両の進路内に入り込むことは予見可能な事態である。被告人が被害者を家に帰つたものと考えたことは十分な考慮を欠いた軽信というべきであり、その採つた行動は安全確認の注意義務を尽さない過失に出たものと認めるに十分である。原判決に事実の誤認はなく所論は理由がない。
(関谷 寺内 中島)
註 本件は量刑不当で破棄